エルガーについて知るべき6つの真実 (2017年1月20日)

最近「Portrait of Elgar (エルガーの肖像)」(マイケル・ケネディ著)を読んでいましたが、その中で特に興味深いと思ったものをここで紹介したいと思います。実際には他にも多数あるのですが、ここでは書ききれないので6つまでにします…。

エルガーについて知るべき6つの真実

1.エルガーには作曲を習う先生がいなかった

エルガーはピアノの調律と楽譜販売業を営む家庭のもとで生まれたこともあって、手の届くところに楽譜やスコア、文献は使いたい放題ありました。中でもベートーヴェンの交響曲などはエルガーにとって大変貴重なものでした。彼は1904年にこう語っています;「スコアを勉強するにあたって、最初に手に入ったのはベートーヴェンの交響曲だった。… 交響曲「田園」を購入した日のことはよく覚えている。それを勉強しようと、ポケットにパンやチーズを蓄えて野原に出かけた、そんなところだ。」
参考にした教本は次のようなものでした。ケルビーニの「対位法」、ステーナーの「作曲と和声」、サビッラ・ノベッロ翻訳による「簡潔な通奏低音」など。
1902年にパデレフスキがエルガー作曲の「コケイン」をエットリングに紹介されたときのことでした。彼はパーティーで、パデレフスキにエルガーはどこで学んだのかと尋ねました。すると、「どこでも学んでいない」と。それなら誰が教えたのかと訊くと、「善き神だ」と答えたそうです。

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2.エルガーは、不運な出来事の連続で開花が遅れた

エルガーと聞くと、何やら安楽椅子に腰かけて気楽に紅茶でも飲んでいる英国人を想像する人がいるかもしれませんが、実際の彼はそれとは全くかけ離れていました。
以下はエルガーが残した20代の頃のハードな日々を書いたものです(これは公に発表されることはありませんでした)。
「私はロンドンから200km離れたところに住んでいた。朝6時に起床、駅まで2kmほど歩いて午前7時の電車に乗った。午前11時頃にパディントン駅に着き、そこから地下鉄でヴィクトリア駅、そしてクリスタル・パレス駅に着くと、リハーサルは残り45分くらいのところまで終わっていた。運が良ければ自分の望んだ曲を聴くことができるのだが、大概はツイてなくてメインの曲が終わってしまっていることが多かった。そして昼食。午後3時に演奏会。午後5時には急いでヴィクトリア駅に向かい、パディントン駅、そしてウースターに帰宅するのは午後10時30分。実に大変な一日だが、新しい曲を聴くことができたし、新たな貴重な経験ができた。」
エルガーの生涯において、問題の一つはやはりオーケストラのリハーサルだったようです。コヴェント・ガーデン遊歩音楽会(1889年?)では、招待されての出席だったにもかかわらず、指揮者が他の曲に時間を全部消費してしまい、エルガーの曲はリハーサルをできずに終わってしまったことがありました。同様のことが複数回起きました。その度にエルガーは虚しい思いで帰宅しなければなりませんでした。
1916年にキングスウェー劇場での上演のための付随音楽を依頼されたエルガーは、以前に書いた「子供の魔法の杖」の改作に意欲的に試みました。全てはうまく運ぶはずだったのですが、初演の2日前に様子を見物しにきたところ、舞台のセッティングの粗末さに彼は激怒。予定していた指揮も取りやめてしまいます。舞台担当者の友人に手紙でこう書いています。「君の友はこの劇の成功の可能性を踏みにじった。奴は舞台の知識などかけらもない、無知で間抜けな野郎だ。帰れ!」 エルガーの妻アリスは、「素敵な演技に魅力的な音楽も劣悪な舞台セッティングで台無し」と。知り合ってすぐの作家ブラックウッドも舞台セッティングを「田舎臭い、何もかもうぬぼれの駄作」と切り捨てました。

3.彼は奇妙であるとみられていた

エルガーは若い頃、マルバーンの女子学校でヴァイオリンを教えていましたが、学長を務めていたロザ・バーリーは、エルガーの性格を次のように表現しています。
「不幸な人間が欲求不満や落胆する気持ちを静めるときのある種の強い自尊心が、内気さによって隠されていました。…私にとっては、彼の情緒的反応はちぐはぐであるように感じました。そのため、彼は非常に落ち着きがなく、こちらも安心していられないのです。…計り知れない反感に対する、つきまとうような恐怖によって、いわば世間から断交した、想像しうる中で最も抑圧された人間の一人でしょう
エルガー自身も、宗教に関してロザ・バーリーに打ち明けてたようです。「彼は宗教的偏見によって、彼のものになっていたはずの職や絶好機が、自分より能力が劣っているにもかかわらずまともに評されている人間らに奪われていったことなどを話しました。この事に関して彼が苦い思いをしているのは明らかでした。」

4.エルガーは心気症だった

精神疾患といえるかどうかは疑問ですが、病気でないときにでも病気ではないか、健康に異常があるのではと心配する症状です。ノイローゼに似ているかもしれません。芸術家のように繊細な人間にはよくあるのでしょう。マイケル・ケネディによれば、エルガーは、風邪をひいたり、目が炎症を起こしたり、歯や耳が痛んだりというのを感じていたようです。彼の友人への手紙には、突然の扁桃腺炎や頭痛を訴えるものがたくさんありました。特に創作意欲の低い時によく起こっていたといいます。

5.苦悩を乗り越え、最終的にはイギリス至上最高と称えられるようになった

「エニグマ変奏曲」を1899年に発表して以来、エルガーはもはや手の届かない存在になり、彼の評判は最高潮に達していました。エルネスト・ニューマンは1914年音楽誌で彼を「印象深い資質のある大人物」と評しています。ドイツでは、第1次世界大戦の影響もあり彼の評価は影をひそめ始めたものの、イギリス国内で彼の地位を揺るがす存在はありませんでした。のちのブリッジ、ホルスト、ウィリアムズなどの作曲家にとってもリーダー的で模範とみられていました。

6.エルガーの作品にはフランス語の題名がついたものも多い

妻アリスとの結婚に際して1888年に書いた「愛のあいさつ」には、当初ドイツ語で Liebesgrüss という名前がつけられていました。この時売れたのはほんの数部でした。そこで、エルガーのファーストネームを頭文字にとどめ、題名をフランス語名に換えました。その理由を彼はフランク・ウェッブへの手紙で説明しています。
「…小編成のオーケストラ用の準備ができた。フランス語の題名について:これは外国で売れるようにということだ。英語の題名だけを書くなら、対象は英語圏内の市場に限られる。だがフランス語なら、フランス、イタリア、ロシア、どこでも出回るようになる。私の名前はあまりに断固とした英語なので好まないが、いつの日か英語が世界の共通言語になるのが待ち遠しい。」
エルガーは、「愛のあいさつ」の他に、「愛の言葉」、「気まぐれ」、「エアー・バレエ」、「朝の歌」などの作品にもフランス語名の題名をつけています。これも作品を世界に発信し広めるための戦略だったのですね。

 

 

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