大舞台演奏家 Vs 小舞台演奏家 (2017年2月16日)

芸術家としてのキャリアが始まって以来、ほぼずっと考え続けていたテーマがあります。定期的に演奏会のために曲を準備する人はもちろん、そうでない人も明確にしておかなければならないでしょう。そのテーマとはこうです;
音楽の世界において、演奏家は主に次の2種類に分けられます。

大舞台演奏家 & 小舞台演奏家

ここで一言断っておきますが、ここで記述していることはあくまで私自身の演奏経験に基づく見解に他ならず、全員が賛同できるものではありません。
大舞台演奏家とは、大規模な演奏会場(客数収容およそ1000人以上)に適う音量と表現ができる演奏家をいいます。
小舞台演奏家とは、中・小規模な演奏会場(客数収容およそ50~800人程度)に限られた音量と表現しかもたない演奏家をいいます。
これはもちろん会場の大きさという点だけであって、これが適切な表現といえるかどうかは確かに疑問です。
イギリス人チェロ奏者スティーヴン・イッサーリスは、大舞台演奏家vs小舞台演奏家という枠組みにはめ込もうとすると、音楽が音楽でなくなると語っています。音響という観点は、彼の言うとおり、音楽そのものとの直接的関係はありません。実際のところ、音楽は「音」と「静けさ」の両方が統合されて初めて成り立つもので、音だけで音楽を完成させることはできません。
では、音響は一切配慮しなくていいということになるのでしょうか?
いいえ、もちろんそんなことはありません。ただ念頭に置いておかなければならないのは、音のみを追求しすぎたために、最も肝心な「音楽」やそこに込められた作曲家のメッセージから精神を切り離してしまうのは、芸術家として好ましいあり方とはいえないでしょう。
それでは、音響はどのように、どの程度影響し、我々はどのように対応すればよいのでしょうか?
ご存じの通り、世界には現在少なくとも1000以上のコンサート会場が整っています。それぞれが、似たような設計を基に建築されてはいるものの、形としては多様に反映されてきます。違いは様々なところから表面化します ― 天井の高さ、形状、壁や床の材質、観客収容人数、温度や湿度など。ですから、一つ一つ機転を利かせて対処していかなければなりません。我々全てにとっても、聴衆の前で演奏するコンサートホールやサロンは、独りで練習する音楽部屋とは全く違った体験です。
最悪なのは、何週間、何か月と狭苦しい部屋に閉じこもって曲を練習したあげくが、たくさん詰めかけた聴衆の前での立派なコンサートホールでの、牢屋に監禁されてでもいるかのような惨めな姿であることです。20世紀が生み出した最大のヴァイオリン教師の一人、ジュリアード音楽院元教授ドロシー・ディレイは「小舞台演奏家になってはダメ」と言い残しています。
ベートーヴェンのロマンス第1番ト長調を例に挙げてみましょう。この曲は冒頭がヴァイオリン独奏の重音の旋律で始まります。4小節後にあるのはオーケストラのリフレイン(同じ主題を繰り返す)です。オーケストラ版で演奏するのとピアノ伴奏版で演奏するのには違いあがありますし、大きな会場で演奏するのと小さなこじんまりした会場で演奏するのにも違いがありますし、益してその組み合わせともなれば影響は未知数でしょう。
演奏家にとっては、大きな舞台で演奏するということは、力強くそしてよく鳴り響く音を出すこと、または「休止」と次の「音」との間に空間を多くつくることを必要とするでしょう。私の場合は、10代初頭から大ホールでの演奏やオーケストラとの共演は頻繁にあったので、仮に自宅での練習であっても本番の舞台の規範に合った音作りをするようにしています。
2、3年ほど前に、ロンドンでのコンサートホールでの演奏会のためにヴィエニアフスキの曲をあるピアニストとリハーサルしていた時のことです。彼はそれまでに王立音楽院でジョルジ・パウクといった大御所の教師のもとで伴奏者として長年の実績のあるピアニストでしたが、リハーサルの真っ只中で彼が私に言った一言はまさに象徴的でした。「君の弾き方はまるでロイヤル=アルバート・ホールかどこかで演奏しているみたいだね」。イギリスに長く住んでいる人ならよくわかるのですが、このような言い回しは褒め言葉ではなく、たいてい婉曲な皮肉です。なので、一部には大舞台演奏家的なスタンスを快く思わない人たちももちろんいます。
結局のところ、先述の通り音楽がもつ意味というものが全てです。ヴィエニアフスキの曲にはオーケストラ版もありますが、彼はもしかしたらこの曲のスケールの大きさを理解していなかったのかもしれません。何を思って上記のように言ったのかは不明です。ただ私が心の底から強く感じるのは、編成の小さい曲(または少人数)だからと言って表現を小さくしなければならないことはない、ということです。室内楽などもそうです。むしろ、曲の編成が小さくなればなるほど演奏者個人の自由というものが生まれると同時に、非常に安定したリズム感を保持することや、存在しうる全ての和声(譜面にはなくても理論上存在するものも含む)を余すことなく表現する責任も生まれます(バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタなど)。
最後に一言。
自分が作曲家であると想像してみてください。あなたが書いている曲に込める内容に、演奏者に敢えて”小さく”表現してほしいと願うものがありますか?

 

 

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