音楽家、そしてヴァイオリン奏者としてのメニューイン (2017年3月30日)

「音階とアルペジオをよく練習するんだよ」

まだ10歳だったユーディ・メニューインがベルギーのブリュッセルであの巨匠ウジェーヌ・イザイに出会った時に告げられた言葉です。
1926年、メニューインはヨーロッパへ家族とともに出身地であるニューヨークから飛び立ち、演奏旅行に出かけます。そこでのセンセーショナルな活躍もさることながら、当時の師であったルイス・パーシンガーから薦められてイザイにレッスンをしてもらおうとブリュッセルの彼のもとへ向かいます。メニューインはそこでラロのスペイン交響曲を演奏し、賛辞を受けますが、その後イ長調の3度の音程を4オクターヴ弾きこなせるかをイザイに試されると、やや疑念が湧き始めます。イザイは懸命に音程を取ろうとする若い少年の努力を認めながらも、彼の最も重大な弱点を見逃すことはありませんでした。(ちなみに、イザイはパーシンガーの師だったので、メニューインからするといかに大きく遠い存在であったかは明白です)

 

音楽家としてのメニューイン

世界中の夥しい数の聴衆の人々や音楽評論家たちが、彼の幼くして立派な音楽的才能とインスピレーションに満ちた天性を驚きと興奮をもって味わいました。10歳でニューヨーク・マンハッタンの歌劇場でデビューした時には、聴衆にヤッシャ・ハイフェッツの姿もあったのです。この頃までには既に彼の名は都市全体に広がっており、将来を託された神童という呼び声が高かったことは疑いようもありません。のちにバルトークは彼のためにヴァイオリン協奏曲と無伴奏ヴァイオリン・ソナタを作曲し、ブロッホもアボダーというヘブライ組曲を彼のために作曲しています。
映像は1965年11月のウイーンのスタジオにてのモーツァルト協奏曲5番撮影セッション。この時にはにシューマン交響曲4番のリハーサルの撮影も同時に行われている。ヘルベルト・フォン=カラヤン指揮、ヴァイオリンはユーディ・メニューイン。管弦楽はウイーン交響楽団(ウイーンフィルとは区別)。

 

メニューインの表現豊かな音色と雑念や混じり気のなさは、これまで誰もが認めたように、これからも認められ続けるでしょう。彼と他のヴァイオリニストたちの決定的違いは、現代のショービジネス化した音楽産業でありふれた、自分を派手に演出することや超絶技巧をひけらかすことばかりに夢中なヴァイオリニストのような高慢さや度量の狭さがなく、詩人のように自分の心を隠すことなく飾ることもなくありのままに素直に表現することができたという所にあると思います。彼も次のように振り返っています:「音楽は私にとって本当にいきいきしたものであり、表現手段の根源ともいえました。生命感のない、死んだような、きまりきった練習をだらだらとして、準備していたのでは、きっと私の音楽は、輝かしいものではなく、つまらない、息の詰まったようなものになってしまったかもしれないからです」(20世紀の芸術と文学『ヴァイオリンの巨匠たち』ヘラルド=エッゲブレヒト著より)。
死後から20年近くを経た今でも彼の偉大さは語り継がれています。

 

ヴァイオリニストとしてのメニューイン

では、果たしてメニューインは非の打ちどころのない完璧なヴァイオリニストだったのでしょうか?
現在では技術の発達により、様々な録音と映像が保存されています。その一つ一つをよく調べると、彼に欠点がなかったわけではないということがよくわかります。もちろんメニューインも所詮人間ですから、他と同じように強みと弱みがあり、長所と短所があったのはごく当然のことなのです。
私も多くの皆さんのように幼少時代にメニューインをテレビ放送で見て過ごしていたわけですが、現代のヴァイオリニストたちは、そうしたものを通じてあまり宜しくないものも影響として受けてしまっている場合が多くあります。自身のこれまでのヴァイオリン人生の中で影響を受けているとみられる人たちを何人も見てきました。
では、私たちも気をつけなければならない彼の短所を見ていきましょう。

 

1.リズム感の悪さ

上にあるモーツァルトの映像で感じ取れるかどうかわかりませんが、メニューインは拍子やテンポ、リズムといったものにおいて秀でてはいませんでした。符点が入ったリズムや、同じようなリズムが連続となってパターン化された部分では幾分速くなり、均一さを保つことができていません。たとえば8分音符が連なっている小節など。音と音の間隔が短くなれば、テンポは必然的にどんどん速くなっていき、コントロールできなくなります。皮肉なのは、この対極にあるのが指揮者のカラヤンであること。カラヤンの場合はオーケストラ団員であろうと、合唱団であろうと、不正確なリズムには容赦なく喝が入ります。そして全員が徹底して同じリズムや音色を揃えて弾けるようになるまでリハーサルは終わりませんでした。このめぐり合わせというのは何とも言えないところがありますね。

 

2. ボーイング(運弓法)

 メニューインは全体的に弓を非常に多く使っています。気になるのは時としてそれが多すぎることです。そして、弓を使う量が多くなることで、弓スピードもかなり速くなっています。特に⊓(ダウン)から∨(アップ)に切り返す際や、∨(アップ)から⊓(ダウン)に切り返す際の弓スピードはあまりに速すぎます。弓スピードが弓の切り返しで速くなるところのどこが悪いかというと、弓スピードによってアクセントが生まれることです。アクセントが必要な部分では意図的に弓スピードを速くしますが、メニューインの場合は音楽の拍子やフレーズとは関係なく弓の返しのたびに弓が速くなり、そのたびに音符にアクセントが付くことになります。私はこれを、現代を生きるヴァイオリニストの中でもあまりに際立つ現象だと感じています。

 

3.左手の不安定感

左手に関しては、冒頭にもあるようにイザイからの指摘もあります。彼の天才的な音楽性によって全ては自然にまとめられているのですが、要所要所では不正確なところが多くあります。テンポの速いパッセージにある16分音符などは洗練されてはおらず、不揃いになっています。高音のイントネーションは不安定で、シフティングも大雑把な印象です。
メニューインは後にも語っていますが、それまでの華やかな成功や活躍に対するファンの熱狂的賞賛とは裏腹に、彼自身の演奏技術に重大なものが欠けていることに気が付いたといいます。「私は、十分に結婚生活への準備をせずに、ノラと結婚してしまった。私は、ヴァイオリンを十分に技巧的に操ることができないのに、弾いてしまった」。基本的な技術を真剣に学ぶことのなかった彼は、限界に直面したことで、自分自身の課題を見つめ直す機会を得たのかもしれません。その後、彼はカール・フレッシュのもとへ赴き、一からヴァイオリンの基礎を体系的に学び直す決意をしました。メニューインはすでに20歳を過ぎていました。
もちろん、それでも彼の天真爛漫さや純粋さ、インスピレーションといったものは失わずに自身の音楽を語りつづけることはできました。しかし、その天真爛漫さにやや甘やかされたというか、勝手に動いてくれる自身の指を過剰に信頼したことによって、悪い習慣が身に付き、技巧上の基礎が消え失せ始めていたことがうかがえます。
何年かかってでも、基本をもう一度研究し直さねければならない、と。「曲がった道は真っすぐに。」という格言が聖書にもあります。どれだけ長くかかることになってもいいのです。この世で始めるのに遅すぎるものなんてありません。ほんの少しの勇気と辛抱強さがあればできるのです。メニューインのように、今ある課題に立ち向かう決意ができるのであれば、自然と求める結果というのはついてくるものです。
私も今からまた山積みの課題に取り組むところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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