西洋音楽と対人関係 (2017年11月10日)

世の中の多くの人は(家族や友人、恋人など)他の人と毎日を過ごすのを好みます。
もちろん一方で、そうではなく独立した人生や孤独を好む人もいます。

” どちらの方がより良い人生を送ることができるのか?〝

自分なりの確固たる動機づけと理由さえあれば、それはどちらでもいいことです。
とはいえ、せっかく興味深い議題なのでここで終わらせず少し踏み込んでみたいと思います。
ダニエル・バレンボイムは、イスラエルとパレスチナの紛争について語る際、西洋音楽においての2声もしくはそれ以上の声部という見方から述べています。
ここでは政治的観点ではなく、代わりにもう少し一般的で小さな単位での人と人との関係を例にして音楽と比較してみます。

人生を大方「独り」で過ごした場合:

・自立し強く生きていく方法を身につけることができる
・どのようにして自分自身の面倒をみればよいのかを学ぶことができる
・生涯を通して起こる様々な壁や困難に打ち勝つための解決策を自分なりに見つけることができる
・豊富な知識や知恵、独自のユニークな経験を得て、周りの人々に語ったり分かち合ったりすることができる
これらは全て素晴らしいことです。
しかしながら、独りで居すぎるというのはあまりいいとは言えません。
コミュニケーション(意思疎通)の欠如は、誤解や不仲につながりやすく、会話も進むべき方向に進みません。
話がかみ合いにくく、両者の距離ができすぎつながりがないと感じるでしょう。
また、どちらか一方だけが話ている状態で、もう一方が話すことができなかったりということもあるでしょう。

音楽にあてはめて考えるとどういうことなのか?

2つもしくはそれ以上の声部があるとします(対位的音楽には通常最低でも2つの声部が存在) 。
それらのうち一つは旋律、もう一方は伴奏や飾りの声部となっています。
当然ながら、旋律は他の声部よりもより主導的役割を果たします。よって、自らが明確に朗々と謳う力をもつと同時に、他の声部にそれに合った付添い方を示す役割ももっているということです。旋律は自由自在なときもあれば、周り次第でそうでないこともあります。
旋律が孤立しすぎると、全体としては不安定になってしまいます。
いずれかの声部が他より先行したり遅れたりする事態が起きるでしょう。
旋律が支配しすぎ、他の声部が完全に隠れてしまったりもするでしょう。
耳を傾けることがなくなり、お互いが自分だけ取り残されたようになるのです。双方に溝ができ、つながりが失われた状態です。
これではまるで見ず知らずの人間同士です。良くありませんね。
それでは、もし人生を常に他人と過ごしているとどうなるでしょうか?

人生を大方他人と過ごした場合

・人間というものを理解することができ、様々な教訓も得られる
・人とのつながりはもちろん深まる
本当に素晴らしいものは人々が団結して一つになって初めてできるもので、独りで成し遂げるものではありません。
そしてその人たちが自分を幸せにし、生活を豊かにしてくれるような人であればよいですが。
しかし反面、常に他人に頼らなければならないのも問題です。
・独りになったとたん、自分が何をしたらよいのかわからない。
・自分の選択や決断はいつも他人の話を聞いてからでないとできない。
・他人に質問をしたり話を聞いたりはするものの、自分のことについては触れなかったり、個人的なことや自分の内面を打ち明けたりはできない。
・自分とは何なのか、自分の存在の価値とは何なのかわからない。
・他人と分かち合える自分なりの体験談がない。
・あまり面白いことが言えない。
そのため、他人を幸せにしたり生活を豊かにできるだけの変化を生み出すことに貢献できない。
そしてこれがどこに行き着くかというと…
その通り。行き着く場所はどこにもありません。

これを音楽にあてはめて考えるとどういうことなのか?

これを表現する一番良い例があるとすると次のようになるでしょう:
旋律とそれを伴奏する声部、飾りとなる声部があるとき、旋律以外の声部が常に旋律の動きに左右されている状態。
いわば、伴奏部が聞きすぎて自らの主張を失っている状態。
自らの役割を軽視してしまっている状態。
音楽での対話を盛り上げたり、さらに興味深いものに変化させることができない状態。
面白くなったり盛り上がったりしないものは、やがて衰えて沈んでいきます。
まるで酸素を失って窒息しそうになり、逃げまどいながらも出口を見つけられないままのような感じです。

音楽の会話は人間の会話と同じです。

問いかけがあれば、それに対する答えがあるはずです。
そして時折話題も変わるでしょう。
それぞれの声部は互いに調和がとれて釣り合いがあるけれども、同時にそれに対抗したり疑問を投げかけたりすることで、望む方向へと会話を導いていくわけです。

まさにこれが人間関係と音楽に共通する重要なパラドックス(相反するもの)なのです。

個人には自立する能力も求められる一方、全く他に頼らないわけにもいかない。
伴奏型声部は旋律部を圧倒してはいけない一方、自らの「主張」も明確に表さないといけない。
どの声部も言いたいことを自由に話す権利がある一方、互いを尊重しサポートしながら反論することも必要。
つまり、―音楽の演奏においてということになると―、
自分の音を弾くだけでも、他の声部を聴くだけでも十分ではないということ。
それが二重奏であれ、弦楽四重奏であれ、交響楽団であれ、それぞれが自分の立ち位置を理解し、それを大切にし、同時に他の声部に耳を傾け集合的なアンサンブルを創り上げることが最も重要なのです。

松川 暉

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