ベートーヴェンとともにブダペストへ (2018年11月19日)

もう残り1週間弱となってびっくり!

コンチェルト・マスタークラス&コンクール以来1年ぶりにハンガリー・ブダペストに戻って来て、今週金曜日にドナウ交響楽団とともにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏する予定です。

この協奏曲はもうかなりの年月を費やして準備していましたが、交響楽団との年間予定や曲目の兼ね合いなどもあって話し合いを重ねて決まり、また私をサポートしてくれて同時にマスタークラス&コンクールの創立者でもあるラシュロ・ブラスコヴィッチさんのマネジメントもあってこれが可能になったのは喜ばしい限りです。

まだ開催歴2回ということもあって世界的にもまだあまり知られていないマスタークラス&コンクールですが、コンチェルトのためのマスタークラスはこれが世界初ということになります。弦楽器のほかピアノや声楽も各国から集まり、昨年はレバノンからの参加者もいました。
特別賞を授与された音楽家は、出演料にくわえて旅費と宿泊費を控除される特典がついた演奏契約を提携することになります。
先月はスカラ座アカデミー・オーケストラの米国ツアーもあって何かと欧米を飛び回っているこの頃ですが、こうしてミラノからまたブダペストへ演奏しにでかける機会をいただいてとても光栄に思っています。
昨年のドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲をご覧になりたい方は、ここから一部を見ることができます。

 

では、ベートヴェンのヴァイオリン協奏曲について、私が感じた事なども含めながら少し話してみたいと思います。

今日の世界ではヴァイオリニストたちにとって至って定番の協奏曲ですが、ベートーヴェンが生きた19世紀ではとても画期的な協奏曲だったのです。

まず演奏時間がおよそ45分程で、それまでのモーツァルトやハイドン、バッハ、ヴィオッティなどのヴァイオリン協奏曲がせいぜい長くても30分弱なのを考えると、当時としては考えられないくらいのとてつもなく長いヴァイオリン協奏曲でした。(特にベートーヴェンの1楽章は、モーツァルトの全楽章の長さにほぼ等しいといえます。)

それでは、このベートーヴェンの協奏曲には何らかの物語や背景のようなものはあるのでしょうか?

過去にも様々な研究家が調査をしていますが、実際のところ真実は誰にもわかりません。というのも、ベートーヴェンはほとんど何もメッセージを残さず、手掛かりがほとんどないからです。もちろん、同時代の作品などと照らし合わせたりすれば、興味深いものが見えてくる可能性はありますが。

1楽章(Allegro ma non troppo)はニ長調、2楽章(Larghetto)はト長調、最終楽章(Rondo)はニ長調と、すべて長調で書かれているこの協奏曲ですが、どことなく暗さと曖昧さが漂い、明朗快活といった長調のありふれたイメージとは少し違います。

あらゆる和声の動きが絶妙なタイミングでの強弱の変化による組み合わせで目を見張るような特殊な効果を持たせ、ベートーヴェンの交響曲にみられるような特性が存分に生かされているのがよくわかります。

光と影の対比があり、ドラマがあり、喜びがあって絶望もあり、緊迫感と開放感があり…。

こういったものは、何を唆そうとしているのでしょうか?

ズバリ、ベートーヴェンの『矛盾した性格』です。曲全体でこれが色濃く出ています。

例えば、本当は眠りにつきたいはずなのに、いろんなことが頭に浮かんで寝るのをやめて踊り出すとか。

怒りで爆発寸前な一方で、もう一人の自分がそれを制止し落ち着かせようとしているとか。

何か大きなことを成し遂げてその余韻に浸って満足している一方で、何かが足りない、何かが間違っているのではという不安に突如襲われ、喜べなくなるとか。

自分が秘かに恋する美少女がいて、自分の思いを伝えようとする一方で、彼女を見たとたんに羞恥心のあまり逃げだしてしまうとか。

つまり、欲望とそれを自ら拒否してしまう本能との間にある内面的な葛藤なのです。Aという方向に進もうとする自分と、Bという方向に進もうとするもうひとつの自分がいるわけです。

フロイトの精神分析にも、人間の矛盾した性格について述べたものがあったように思いますが、人間というのは誰であろうと、このような二面性というものを持っていて、その相反する2つの性格によってバランスをとっているのでしょう。

2楽章のラルゲットでは、ベートーヴェンが思い描く理想のような世界が表現されているように思います。望むもの全てがそこにあり、ロマンスや愛があり、苦しみや悲しみがなく、神がそばにいてくれる場所。

現実の世界からは遠く限りなく離れた、ベートーヴェンにとってのいわば「理想郷」のようなもので、その風景は交響曲第6番の『田園』のような神々しいものです。

(個人的にはこの楽章がこの協奏曲の最大の見どころ・聞きどころだと思っていて、私にとって最もお気に入りの楽章です。)

しかしその理想郷にたどり着くには、それまでに出くわすありとあらゆる障害を乗り越えていかなくてはなりません。あらゆる困惑や疑念を払拭し、躊躇する気持ちを克服しなくてはなりません。

全体としてこの協奏曲はそういった明朗快活といった表面的なものより遥かに複雑な感情が入り交ざっていて、表現するのがとても難しいです。

ただ、そのような必ずしもわかりやすくなく明るくない感情を包み隠さず、ありのままの素の自分を表現したところが、ベートーヴェンらしいなと思います。

これまでの歴史的な研究によれば、このヴァイオリン協奏曲は初演当時の評価は軒並みで、旋律の美しさなどを評価する一方で、技巧的パッセージなどがもとで曲全体がマンネリ化しやすいことからベートーヴェンの作曲家としての手腕を疑問視する声もありました。その後、フェリックス=メンデルスゾーンが1844年にロンドンのコンサートで名ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムとこの協奏曲を演奏してから、曲の評価が少しずつ変わり始め、大衆に理解されるようになったようです。

それは、ベートーヴェンが書く音楽が奇想天外そして革命的なもので、人々の音楽のありかたに対する固定観念を打ち破るものだったからです。

しかしベートーヴェンが描いたものは、人間のごく自然な性格や心情を表したもので、これは現代の私たちにとっても多分に共通する部分ばかりです。彼は音楽を通して誰もが人生で一度は経験するであろう様々な人情を人々とわかち合おうとしたのです。

このブログを書いているうちに、早くドナウ宮殿でこのベートーヴェンの協奏曲を今すぐにでも弾きたい、待てないという気持ちがいっそう強くなってきました(笑)

残りわずか数日となってきましたので、聞き逃したくない方はお急ぎここからチケット予約をしてください(これはPROJECTのページにあるリンクと同じです)。

公演前にこれを読んでもらえているかどうか知る由もありませんが、何か私がここで話したことから得るものがあればと願う次第です。

それではまた後程。

松川 暉

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