クラシック音楽の未来 (2019年9月23日)

これまで日本とヨーロッパの両方でたくさんの演奏会を行ったり参加・見聞してきましたが、一部の国やここ日本では特にフュージョン系音楽に加えて、派手な演出や着飾り、トークショー、ジョークなどが目立っています。

現代の音楽業界では聴衆を楽しませるためのエンターテーメントとしてこのような顕著な傾向があります。聴衆との対話でつながりを深めるのは確かに大事なことでしょう。そして当然、みすぼらしく見えるより美しく見える方がいいでしょう。しかしそこには、あってはならない1つの「重大な間違い」が存在するのです

異なるスタイルや価値観を混合させて境目をなくす傾向、言わばある種の音楽の新時代ともいえる動きに今、流されている音楽家が後を絶ちません。

カーネギーホールの玄関前 (ニューヨーク・アメリカ)

 

 

近頃よく叫ばれる「クラシック音楽の価値は下がっている」「クラシック音楽そのものだけではやっていけない」という思い違った考えのもとで、音楽家たちは現代の音楽界のありさまを変え始めています。

クラシック音楽が時代錯誤だという考え方。

本当にクラシック音楽は「時代遅れ」なのでしょうか?本当にクラシック音楽は我々の暮らしに無関係でしょうか?

よく考えてみましょう。

(もし今これを読んでいるあなた自身が音楽家なら、この問題について考えることはなおさら重要でしょう。)

いつ誰が最初に思いついた考えなのかはわかりませんが、個人的にははっきり言って馬鹿げていると思います。

生前ベートーヴェンは難聴という、いつ誰にでも起こりうる障害にひどく悩まされていました。そして、悪化の一途をたどる難聴が原因で意思疎通が困難を極め、やがて社会から遠ざかるようになっていきました。彼にとっては、不治の病と孤独に耐え忍び戦い続ける、まさに苦難に満ちた生涯だったのです。

人との関わりにも、創作活動にも、何もかも支障をきたし、ベートーヴェンは絶望に駆られどん底にいました。それはある日自殺を図って、『ハイリゲンシュタットの遺書』と呼ばれる手記を残すに至るほどでした。彼が33歳の頃です。

もし本当に命を絶っていたら、ベートーヴェンの物語はここで終わってしまっていたでしょう。しかし物語はここでは終わりませんでした。自分の中で何かが変わったのか、彼は自殺は思いとどまり、それからは如何なる困難や障壁が訪れようとも絶対に屈しないという固い決意とともに、新しい自分として人生を再スタートさせたのでした。開き直ったベートーヴェンは、昼夜を問わず作曲に専念し、交響曲『田園』『運命』『第9(合唱)』などの大作が次々と世界を席巻していきました。彼は耳の病と孤独を自分の野望と夢への障害にはさせず、病床で死ぬ間際までエネルギーを一滴も惜しむことなく筆を走らせ続けたのでした。

2世紀あまりが過ぎた今もなお、ベートーヴェンという人物を知らぬ人や忘れた人はいません。他の何よりも(老若男女、民族や人種を越えて)計り知れない数の世界中の人々に衝撃を与えたのは、❝人生においてのとてつもない挫折と苦難を強固な精神をもって乗り越え、わが道をひたすら突き進みながら使命を果たしていく❞人間のストーリーであって、誰もが心動かされ尊敬するに値する人物像なのです。

時代は変わって、私たちの暮らしにかなりの物理的な変化は生まれたものの、私たち人間はそれほど大きく進化したわけではありません。

私たちは今日も食糧と住む家がなければ生きていけません。私たちには睡眠も必要です。私たちは恋をしたり失恋したりもします。子孫を残すためにの生殖もします。そしてどの時代にも私たちは何らかの課題や葛藤を抱えて奮闘してきました ー 金銭的問題であれ、健康やフィットネスであれ、平等性、人種的差別であれ、― 楽な時代は一度もありませんでした。現在の私たちは、本質的には200年前とほとんど変わらないのです。

これは伝統を守るとか、歴史上の出来事の一つ一つを並べ立ててあれこれ思案することとは無関係で、そういう問題ではありません。大切なのは音楽が語るストーリーに秘められたメッセージであり、そこから得られる知恵や教訓は万国共通で恒久のものです。

問題なのは、現代の音楽家たちに作曲家についてや楽曲の概要・背景といったことにはあまり関心がなく、聴衆にとっては興味深いであろう音楽が伝えようとしている明確な意図やストーリーを忠実に表現することをやめてしまっていることです。それをせずに、ロックやジャズにアレンジして曖昧にすることで問題の核心から目を背けているのです。一番酷いのは、自分が何を演奏しているのかさえわからずに演奏している音楽家も中にはいるということで、これには本当に虚しい気持ちを覚えます。

そもそも音楽家たちが真摯に音楽そのものに向き合うことなしに、世間に共感や理解を求めることはあり得ないのではないでしょうか。

誰一人としてクラシック音楽を嫌いになった人はいません。

誰一人としてクラシック音楽が無意味だと感じた人はいません。

そしてもちろん、誰一人としてクラシック音楽が衰退して無くなればいいと望んだ人もいません。

クラシック音楽はこれまで常に世の中の人々の考え方・感じ方を造り支えてきたわけで、そういう意味では音楽家たちはその音楽を繁栄させる中での先導的役割を担ってきました。千年以上を経て西洋音楽が生き延びてきたのは全く偶然のことではないのです。

何を大事として強調すべきかをよく考慮し、そして自らの考え・表現を責任をもって全うするのは音楽家たち自身の責任であります。

今私たちはこれまでで最も深刻ともいえるクラシック音楽の危機に瀕しているといえます。これを読んでいるあなたが音楽家なら、あなた自身も何か行動を起こさねければならないということです。

自分が伝えるべきストーリーに注意を当て続けてもらえるように、そしてそれに懸けるあなたの情熱が額面上ではなく、真心からのものであると受け取られなければなりません。

楽曲を自分の都合のいいように書き換えても、問題の本質は残ったままです。問題に真っ向から立ち向かうことをしなければ、何にどんな風にアレンジしようと、ジョークを飛ばして聴衆の笑いを取ろうと、派手な衣装で色気を出そうと、根底にある音楽の本当の意図やストーリーはいつまでたっても伝わらないのです。

このような状況を打破するためには、国全体レベルでの抜本的な音楽教育というのも、日本のように西洋音楽が今一つ根付いていない日本では当然意義があるでしょう。ただ、これには世代を超えるほどの長い年月がかかるだろうと思われます。

音楽と人間の暮らしをドキュメンタリーか何かの形で ― 直接関連した楽曲を入れながら作曲家に焦点を当てた番組を ― ありのまま飾り立てず忠実に描くというのが、私たちが手始めとしてできることかもしれません。実際この類の取り組みはどこを見渡してもあまりなされていないような気がします。

とはいえ、どういった形でやるにしても、まず私たちは目の前にある現実をしっかり受け止めなければなりません。クラシック音楽が衰退したのは、音楽界にそのように音楽の価値を低く考えたり価値を下げるような行動を起こした人たちがいたからです。誰でもわかるように、もちろん簡単なことではありません。懸命に努力を続けていかなければなりません。でも耳の聞こえないベートーヴェンが音楽で世界を変えたということは、いくら彼の才能が飛びぬけていたとはいえ、私たちにとっても決して不可能なことではなく、トライしなければならないのです。音楽家としての信念、決意、そして誇りをもって大きなことを成し遂げなければならないのです。

<了>

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