チャペルコンサート (2019年10月14日)

長い間にわたって周到な準備を進めた末、金曜日のリーガロイヤルホテル大阪のクリスタルチャペルでのコンサートを迎えました。 公演日前は猛烈な台風と熱狂のラグビーW杯などで日本中があわただしい様子だったものの、公演当日は、100人を超える観衆が会場のチャペルに ベートーヴェン、パガニーニ、クライスラーの作品を聴きに訪れました。 会場はリーガロイヤルホテル大阪の上階にあるクリスタルチャペルで、名前の通り壁にはステンドグラスが張り巡らされ、12.5mの高さの天井から2つのシャンデリアが吊り下がり、両側にある客席の間にある通路には独特の飾りを施したカーペットという高貴な空間。 私自身、世界各地で(欧州は特にキリスト教社会で教会が無数にあるため)教会や大聖堂での演奏経験がたくさんありますが、このチャペル(礼拝堂)という場所での演奏はやや特別な感じがあり、音楽が醸し出す空間と音楽の基調にも合っていたと思います。 ベートーヴェンの『クロイツェル』ソナタは、とにかく壮大で大変な曲です。繰り返しを含めて全体で40分あるソナタ全楽章を弾きとおす体力だけでなく、全体を通して最初から最後まで聴衆を絶えず変わり続けるインテンシティをもって次から次へと別世界へと誘導して魅了し続けていくことが演奏者としての狙いです。同じ音を何度も再生するのではなく、一つ一つが毎回別の命に生まれ変わったように感じる、そんな音楽を奏でることです。 ベートーヴェンに続いて演奏したのが、ロッシーニの『モーゼ』を主題としてパガニーニが作曲した序奏と変奏曲。ベートーヴェンと最も共通点が多かったのは他ならぬパガニーニで、その単純明快さと英雄的で高揚感あふれる音楽性が最も顕著な特徴。序奏と変奏曲全体を通して全てG線で演奏することになっていて、技巧上最高レベルの超自然的コントロールとイタリア・オペラに通じる雄弁さをもった甘美な歌い上げの腕前を求められる難曲です。 クライスラーの作品はほぼどれもが長年にわたってヴァイオリン・コンサートの定番の曲目となっていて、『愛の悲しみ』『愛の喜び』はその中でも最も大衆的な2曲。第1次世界大戦でアメリカに亡命したものの、クライスラーの故郷はほかならぬウイーン。『愛の悲しみ』『愛の喜び』ともに典型的なウインナー・ワルツを上品で懐古的なメロディーとともに体現したところが芸術の真髄。 コンサートの中でやコンサートの後の拍手はとても快く感じられ、長期にわたる苦労が報われるような反応でした。観衆のみなさんも私の音楽を通してその根底にある何かを感じ取ってもらうことができたのではと思います。 ハーベストコンサート代表取締役の木田好子さん、ピアニストの鈴木華重子さん、そして来場いただいた方々1人1人に私から最大の感謝を贈ります。 松川 暉   Advertisements

クラシック音楽の未来 (2019年9月23日)

これまで日本とヨーロッパの両方でたくさんの演奏会を行ったり参加・見聞してきましたが、一部の国やここ日本では特にフュージョン系音楽に加えて、派手な演出や着飾り、トークショー、ジョークなどが目立っています。 現代の音楽業界では聴衆を楽しませるためのエンターテーメントとしてこのような顕著な傾向があります。聴衆との対話でつながりを深めるのは確かに大事なことでしょう。そして当然、みすぼらしく見えるより美しく見える方がいいでしょう。しかしそこには、あってはならない1つの「重大な間違い」が存在するのです。 異なるスタイルや価値観を混合させて境目をなくす傾向、言わばある種の音楽の新時代ともいえる動きに今、流されている音楽家が後を絶ちません。     近頃よく叫ばれる「クラシック音楽の価値は下がっている」「クラシック音楽そのものだけではやっていけない」という思い違った考えのもとで、音楽家たちは現代の音楽界のありさまを変え始めています。 クラシック音楽が時代錯誤だという考え方。 本当にクラシック音楽は「時代遅れ」なのでしょうか?本当にクラシック音楽は我々の暮らしに無関係でしょうか? よく考えてみましょう。 (もし今これを読んでいるあなた自身が音楽家なら、この問題について考えることはなおさら重要でしょう。) いつ誰が最初に思いついた考えなのかはわかりませんが、個人的にははっきり言って馬鹿げていると思います。 生前ベートーヴェンは難聴という、いつ誰にでも起こりうる障害にひどく悩まされていました。そして、悪化の一途をたどる難聴が原因で意思疎通が困難を極め、やがて社会から遠ざかるようになっていきました。彼にとっては、不治の病と孤独に耐え忍び戦い続ける、まさに苦難に満ちた生涯だったのです。 人との関わりにも、創作活動にも、何もかも支障をきたし、ベートーヴェンは絶望に駆られどん底にいました。それはある日自殺を図って、『ハイリゲンシュタットの遺書』と呼ばれる手記を残すに至るほどでした。彼が33歳の頃です。 もし本当に命を絶っていたら、ベートーヴェンの物語はここで終わってしまっていたでしょう。しかし物語はここでは終わりませんでした。自分の中で何かが変わったのか、彼は自殺は思いとどまり、それからは如何なる困難や障壁が訪れようとも絶対に屈しないという固い決意とともに、新しい自分として人生を再スタートさせたのでした。開き直ったベートーヴェンは、昼夜を問わず作曲に専念し、交響曲『田園』『運命』『第9(合唱)』などの大作が次々と世界を席巻していきました。彼は耳の病と孤独を自分の野望と夢への障害にはさせず、病床で死ぬ間際までエネルギーを一滴も惜しむことなく筆を走らせ続けたのでした。 2世紀あまりが過ぎた今もなお、ベートーヴェンという人物を知らぬ人や忘れた人はいません。他の何よりも(老若男女、民族や人種を越えて)計り知れない数の世界中の人々に衝撃を与えたのは、❝人生においてのとてつもない挫折と苦難を強固な精神をもって乗り越え、わが道をひたすら突き進みながら使命を果たしていく❞人間のストーリーであって、誰もが心動かされ尊敬するに値する人物像なのです。 時代は変わって、私たちの暮らしにかなりの物理的な変化は生まれたものの、私たち人間はそれほど大きく進化したわけではありません。 私たちは今日も食糧と住む家がなければ生きていけません。私たちには睡眠も必要です。私たちは恋をしたり失恋したりもします。子孫を残すためにの生殖もします。そしてどの時代にも私たちは何らかの課題や葛藤を抱えて奮闘してきました ー 金銭的問題であれ、健康やフィットネスであれ、平等性、人種的差別であれ、― 楽な時代は一度もありませんでした。現在の私たちは、本質的には200年前とほとんど変わらないのです。 これは伝統を守るとか、歴史上の出来事の一つ一つを並べ立ててあれこれ思案することとは無関係で、そういう問題ではありません。大切なのは音楽が語るストーリーに秘められたメッセージであり、そこから得られる知恵や教訓は万国共通で恒久のものです。 問題なのは、現代の音楽家たちに作曲家についてや楽曲の概要・背景といったことにはあまり関心がなく、聴衆にとっては興味深いであろう音楽が伝えようとしている明確な意図やストーリーを忠実に表現することをやめてしまっていることです。それをせずに、ロックやジャズにアレンジして曖昧にすることで問題の核心から目を背けているのです。一番酷いのは、自分が何を演奏しているのかさえわからずに演奏している音楽家も中にはいるということで、これには本当に虚しい気持ちを覚えます。 そもそも音楽家たちが真摯に音楽そのものに向き合うことなしに、世間に共感や理解を求めることはあり得ないのではないでしょうか。 誰一人としてクラシック音楽を嫌いになった人はいません。 誰一人としてクラシック音楽が無意味だと感じた人はいません。

メンデルスゾーンの音楽の素晴らしさとは何か?② (2019年4月4日)

前回は、主にメンデルスゾーンの旋律の親しみやすさ、発展性、後世の作曲家へのつながりという点に焦点を当てて話を進めていきました。 そして今回は、メンデルスゾーンの「信仰」・「宗教性」という側面に着目して、彼の音楽を深く考察していきたいと思います。 有名な哲学者モーゼス=メンデルスゾーンを祖父に、成功した銀行家の父アブラハムと歌手・ピアノ教師の母レアというユダヤ系家庭に生まれ育ったメンデルスゾーン。一家は1822年にキリスト教(プロテスタント)に改宗しましたが、その3年後にメンデルスゾーンは、当時宗教的指導を受けていた牧師ヴィルムゼンに堅信礼文(洗礼を受けた後に信仰を確かなものとするための秘跡)を書いています。彼が16才の時です。ヨハネ福音書3:16にある「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」という文に始まり、キリストの教えの尊大さ、神のための自己犠牲、不幸な者や敵への愛などに詳細に述べており、全体の長さは2000語以上に及びます(全文を読みたい人は、クライヴ・ブラウン著『A Portrait of Mendelssohn』を参照して下さい)。 ヴィルムゼンはメンデルスゾーンの書いた堅信をおおむね肯定しながらも、不滅の魂は高尚な人生へと運命づけられ、果てしなく発展し得る性質をもっていることを付け加え、主が彼の魂を明るめ強くすることで、父と母への喜びとなり、また世に証言をすることで、信仰によって賛美され神聖化された芸術が魂を自由そして強く、高貴で偉大なものと成すことを願わんとし、中でも特に「真実の精神」について念を押すように諭していたようです。 彼がいう「真実の精神」とは、誤った行いや隠匿、偽善などを憎み、愛と忠実を重んじ、同胞を不幸から救う救済者、友、恩人となるように努めること。 このような宗教的訓練は、メンデルスゾーンの人格を形成していく最も重要な基盤となっていったのでした。ドイツ人劇作家で古きから交友関係があったエドゥアルド=デフリントは、自身の回想録でそんなメンデルスゾーンの象徴的な一面が垣間見える出来事について語っています。メンデルスゾーンは人間だけでなく些細な生き物に対してさえも慈悲深い人物でした。まだ少年だったメンデルスゾーンの弟パウルが、ある日一匹の魚を捕まえて家に帰ってきてそれを揚げて食べようとしていました。メンデルスゾーンは怒って、「まともな子なら魚を水の中に戻しておいで!」とパウルを責めます。母レアはパウルを擁護しますが、最終的に父アブラハムが仲介に入り、「パウル、魚を水に戻してきなさい。漁師でもないのに、魚の命を取るのはよくない。それよか、どんな生き物の命だって取ってはいけない。」とパウルに魚を戻すように告げます。こうしてメンデルスゾーンはパウルを連れて大喜びで池へと走っていき、もがく魚を水に返すのでした。デフリントはこれを機に、困難な状況にある人を援護するメンデルスゾーンの姿を目にする度に、いつもこの魚のことを思い出すと語っています。 彼の音楽の本質とは何かと考えた時、その根底にあるものは上記に出てきたような、善の意識や正義感、そして忠誠心であるといえるのではないでしょうか? 牧師でメンデルスゾーンのオラトリオの台詞を書いた友人ユリウス=シュープリングは、自らの回顧録でメンデルスゾーンの音楽と宗教的感性の結びつきについて言及しています。シュープリングは、ピアノ曲の『前奏曲とフーガ』第1番ホ短調Op.35 とオラトリオ『聖パウロ』を例に出しながら、メンデルスゾーンの全ての曲の最初のページがお祈りの頭文字となっていることを指摘しているのです。   『前奏曲とフーガ』Op.35は全部で6曲あり、1832年から1837年までの間に書かれています。J.S.バッハが生前に書いた前奏曲とフーガを参考にもしたとされ、メンデルスゾーンが長い年月をかけて入念に仕上げた傑作の一つです。 その第1曲目であるホ短調のフーガでは、死にかかっている友人ハンスタインをベッドの傍らから夜通し見守る所から主題が始まります。やがて病状が次第に悪化していき、それが頂点に達した時、譜例1にあるホ長調コラールで解放される様子が描かれています。 友人はそこで天国に行ってしまったのか、それとも奇跡的に救われたのかについては、考える余地が残ります。   またシュープリングは、メンデルスゾーンのオラトリオにみられる彼の繊細さ・如才さから来る絶妙なタッチについて触れています。 イエス=キリストの信者を連れてダマスカスにたどり着く前、まだ改宗したばかりのパウロ(改宗前の名はサウロ)のアリアにある言葉 ― これらはメンデルスゾーンにとっては不満以外の何ものでもありませんでした。 一方で、ここで彼は詩篇51の発想を得たようで、シュープリングから見るとそれがまるで意図的に書かれていたように思われると語っています。 そして、メンデルスゾーンの芸術に対する意見や観念を合わせて考えた時 ー たとえ指揮台に立っていようと、ピアノの前に座っていようと、四重奏のテノール(ヴィオラのこと)を弾いていようと、宗教と畏敬の念は常に彼の人柄と一体になっていたのだと。これこそが、メンデルスゾーンの音楽がもつ不思議な魅力というか魔力というか、そういったものの真髄だといえます。では、メンデルスゾーン自身は、信仰と音楽の関係をどのように考えていたのでしょうか?

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