「メンデルスゾーンのマチネ」(2019年11月27日)

先日(土曜日)に「Mendelssohnのマチネ」と題した全メンデルスゾーン・コンサートを終えました。概ねうまく運び、手ごたえと収穫を得ることができたように思います。 公演の前までは、反響があったとしてもごく小さなものだろうと考えていましたが、予想とは違いメンデルスゾーンの音楽に関しての純粋なコメントや、メンデルスゾーンにフォーカスしてプログラムを取り挙げたことそのものを評価する声などもたくさんあり、会場内は賞賛の嵐といってもよいほどで自身としても大変達成感がありました。 メンデルスゾーンの重要な作品を一挙に紹介するという画期的で重みのある一日となりました。曲目には佐野真弓さんによるピアノでロンド・カプリッチオ―ソ&ゴンドラの歌、原田泰彦さんによるテノールで歌曲集と『エリヤ』からのアリア、そして私自身がヴァイオリンソナタ(1838)&ヴィオラソナタを入れました。 もちろん、全てがうまくいったわけではありません。企画段階での難しさや準備の難しさなどもあり、不安のようなものは少なからずあったと思います。結果としても理想的だったかどうかはわかりません。 ただ、できる限りの力を尽くして実現にこぎつけ、メンデルスゾーンの音楽を世の中に発信できるよう協力してくれた共演者の皆さん、その他の皆さんを称え感謝の意を表したいと思います。                   一つ大事なことは、メンデルスゾーンの音楽はまだまだ広く認知されるのには時間がかかることです。近年メンデルスゾーンに関しては再評価や再発見がされてきてはいるものの、理解は深まっていません。今回のコンサートそのものは最終目標ではなく、まだスタート地点です。今回行った活動をこれから継続していき、メンデルスゾーンの音楽がクラシック音楽の真の重鎮として根付くように惜しまず努力していかなければならないのです。 もうすでに今私は次に行うメンデルスゾーン・コンサートのアイデアを練り企画・検討をするところです。まだ漠然としてはいますが、早ければ来年の早いうちに実現できればと思っています。 松川 暉

チャペルコンサート (2019年10月14日)

長い間にわたって周到な準備を進めた末、金曜日のリーガロイヤルホテル大阪のクリスタルチャペルでのコンサートを迎えました。 公演日前は猛烈な台風と熱狂のラグビーW杯などで日本中があわただしい様子だったものの、公演当日は、100人を超える観衆が会場のチャペルに ベートーヴェン、パガニーニ、クライスラーの作品を聴きに訪れました。 会場はリーガロイヤルホテル大阪の上階にあるクリスタルチャペルで、名前の通り壁にはステンドグラスが張り巡らされ、12.5mの高さの天井から2つのシャンデリアが吊り下がり、両側にある客席の間にある通路には独特の飾りを施したカーペットという高貴な空間。 私自身、世界各地で(欧州は特にキリスト教社会で教会が無数にあるため)教会や大聖堂での演奏経験がたくさんありますが、このチャペル(礼拝堂)という場所での演奏はやや特別な感じがあり、音楽が醸し出す空間と音楽の基調にも合っていたと思います。 ベートーヴェンの『クロイツェル』ソナタは、とにかく壮大で大変な曲です。繰り返しを含めて全体で40分あるソナタ全楽章を弾きとおす体力だけでなく、全体を通して最初から最後まで聴衆を絶えず変わり続けるインテンシティをもって次から次へと別世界へと誘導して魅了し続けていくことが演奏者としての狙いです。同じ音を何度も再生するのではなく、一つ一つが毎回別の命に生まれ変わったように感じる、そんな音楽を奏でることです。 ベートーヴェンに続いて演奏したのが、ロッシーニの『モーゼ』を主題としてパガニーニが作曲した序奏と変奏曲。ベートーヴェンと最も共通点が多かったのは他ならぬパガニーニで、その単純明快さと英雄的で高揚感あふれる音楽性が最も顕著な特徴。序奏と変奏曲全体を通して全てG線で演奏することになっていて、技巧上最高レベルの超自然的コントロールとイタリア・オペラに通じる雄弁さをもった甘美な歌い上げの腕前を求められる難曲です。 クライスラーの作品はほぼどれもが長年にわたってヴァイオリン・コンサートの定番の曲目となっていて、『愛の悲しみ』『愛の喜び』はその中でも最も大衆的な2曲。第1次世界大戦でアメリカに亡命したものの、クライスラーの故郷はほかならぬウイーン。『愛の悲しみ』『愛の喜び』ともに典型的なウインナー・ワルツを上品で懐古的なメロディーとともに体現したところが芸術の真髄。 コンサートの中でやコンサートの後の拍手はとても快く感じられ、長期にわたる苦労が報われるような反応でした。観衆のみなさんも私の音楽を通してその根底にある何かを感じ取ってもらうことができたのではと思います。 ハーベストコンサート代表取締役の木田好子さん、ピアニストの鈴木華重子さん、そして来場いただいた方々1人1人に私から最大の感謝を贈ります。 松川 暉  

クラシック音楽の未来 (2019年9月23日)

これまで日本とヨーロッパの両方でたくさんの演奏会を行ったり参加・見聞してきましたが、一部の国やここ日本では特にフュージョン系音楽に加えて、派手な演出や着飾り、トークショー、ジョークなどが目立っています。 現代の音楽業界では聴衆を楽しませるためのエンターテーメントとしてこのような顕著な傾向があります。聴衆との対話でつながりを深めるのは確かに大事なことでしょう。そして当然、みすぼらしく見えるより美しく見える方がいいでしょう。しかしそこには、あってはならない1つの「重大な間違い」が存在するのです。 異なるスタイルや価値観を混合させて境目をなくす傾向、言わばある種の音楽の新時代ともいえる動きに今、流されている音楽家が後を絶ちません。     近頃よく叫ばれる「クラシック音楽の価値は下がっている」「クラシック音楽そのものだけではやっていけない」という思い違った考えのもとで、音楽家たちは現代の音楽界のありさまを変え始めています。 クラシック音楽が時代錯誤だという考え方。 本当にクラシック音楽は「時代遅れ」なのでしょうか?本当にクラシック音楽は我々の暮らしに無関係でしょうか? よく考えてみましょう。 (もし今これを読んでいるあなた自身が音楽家なら、この問題について考えることはなおさら重要でしょう。) いつ誰が最初に思いついた考えなのかはわかりませんが、個人的にははっきり言って馬鹿げていると思います。 生前ベートーヴェンは難聴という、いつ誰にでも起こりうる障害にひどく悩まされていました。そして、悪化の一途をたどる難聴が原因で意思疎通が困難を極め、やがて社会から遠ざかるようになっていきました。彼にとっては、不治の病と孤独に耐え忍び戦い続ける、まさに苦難に満ちた生涯だったのです。 人との関わりにも、創作活動にも、何もかも支障をきたし、ベートーヴェンは絶望に駆られどん底にいました。それはある日自殺を図って、『ハイリゲンシュタットの遺書』と呼ばれる手記を残すに至るほどでした。彼が33歳の頃です。 もし本当に命を絶っていたら、ベートーヴェンの物語はここで終わってしまっていたでしょう。しかし物語はここでは終わりませんでした。自分の中で何かが変わったのか、彼は自殺は思いとどまり、それからは如何なる困難や障壁が訪れようとも絶対に屈しないという固い決意とともに、新しい自分として人生を再スタートさせたのでした。開き直ったベートーヴェンは、昼夜を問わず作曲に専念し、交響曲『田園』『運命』『第9(合唱)』などの大作が次々と世界を席巻していきました。彼は耳の病と孤独を自分の野望と夢への障害にはさせず、病床で死ぬ間際までエネルギーを一滴も惜しむことなく筆を走らせ続けたのでした。 2世紀あまりが過ぎた今もなお、ベートーヴェンという人物を知らぬ人や忘れた人はいません。他の何よりも(老若男女、民族や人種を越えて)計り知れない数の世界中の人々に衝撃を与えたのは、❝人生においてのとてつもない挫折と苦難を強固な精神をもって乗り越え、わが道をひたすら突き進みながら使命を果たしていく❞人間のストーリーであって、誰もが心動かされ尊敬するに値する人物像なのです。 時代は変わって、私たちの暮らしにかなりの物理的な変化は生まれたものの、私たち人間はそれほど大きく進化したわけではありません。 私たちは今日も食糧と住む家がなければ生きていけません。私たちには睡眠も必要です。私たちは恋をしたり失恋したりもします。子孫を残すためにの生殖もします。そしてどの時代にも私たちは何らかの課題や葛藤を抱えて奮闘してきました ー 金銭的問題であれ、健康やフィットネスであれ、平等性、人種的差別であれ、― 楽な時代は一度もありませんでした。現在の私たちは、本質的には200年前とほとんど変わらないのです。 これは伝統を守るとか、歴史上の出来事の一つ一つを並べ立ててあれこれ思案することとは無関係で、そういう問題ではありません。大切なのは音楽が語るストーリーに秘められたメッセージであり、そこから得られる知恵や教訓は万国共通で恒久のものです。 問題なのは、現代の音楽家たちに作曲家についてや楽曲の概要・背景といったことにはあまり関心がなく、聴衆にとっては興味深いであろう音楽が伝えようとしている明確な意図やストーリーを忠実に表現することをやめてしまっていることです。それをせずに、ロックやジャズにアレンジして曖昧にすることで問題の核心から目を背けているのです。一番酷いのは、自分が何を演奏しているのかさえわからずに演奏している音楽家も中にはいるということで、これには本当に虚しい気持ちを覚えます。 そもそも音楽家たちが真摯に音楽そのものに向き合うことなしに、世間に共感や理解を求めることはあり得ないのではないでしょうか。 誰一人としてクラシック音楽を嫌いになった人はいません。 誰一人としてクラシック音楽が無意味だと感じた人はいません。

1 2 3 14