音楽の感じ方を一瞬で変える方法 (拡散厳禁) (2020年8月5日)

前回の投稿から約9か月もの間隔が開いて大変ご無沙汰になってしまいました。このCovid-19のパンデミックの混乱の最中とあって、適切なタイミングで適切なトピックを定めるのがなかなか難しいと感じるこの頃ですが、購読者のみなさんやその他のみなさん共に、互いに教育にいっそう力を入れて知識や理解を深めながら有意義で楽しい日々を過ごしていることと思いますし、そうであってほしいと思います。 ベートーヴェンの有名な言葉があります。 ❝耐えたまえ。美を追求するだけではダメだ、その奥にある真意を探らなければ。なぜなら、神の領域に達するには音楽と科学の両方がなければならないからだ。❞ 自らの人生と哲学を凝縮したような、如何にもベートーヴェンらしい格言ですが、当たり前のことのように思えながら論理的な深い思考をする意識が今の時世ではやや軽薄になっています。論理的な思考とは、「なぜAをやったらCという結果ではなくBという結果になったのか?」「もしAではなくDをやっていたら結果はどう違ったのか?」などという具体的な問いかけを行うことで初めてできること。「音楽は誰のために何のためにあるのか?」という哲学的な問いから始まって、音楽を読み解く力、そしてその表現をより確実で偉大なものにするための実際的方法を探求する段階へと進んでいくわけです。 日々練習する楽曲の譜面には、作曲者によるいろんな表記やメッセージが残されています。経験や感覚を通して求められている音色や表現が出せる時もあれば、頭の中が違う感情で支配されてうまく音に表現できなかったり、曲想に合った心境にならない時もあるかもしれません。心と体がうまく一体にならないという人はたくさんいます。そんな時はどうすればいいのか?という疑問・悩みに答えていきます。   人間の感情が永遠と同じ状態で居座り続けることは絶対にありません。感情とは常に変わり続けるものです。人間は日々起こるあらゆる事に無意識のうちに反応して、その度にいろいろな気持ちになっています。もし同じ感情、たとえば悲しみが死ぬまで続くのであれば、それはとても不健康なことでしょう。同時に、毎日刻々と物事が変化するめまぐるしい世の中では、気持ちの切り替えが必要な事は日常茶飯事だとはいえ、それはもちろん簡単にできることでもありません。 音楽家には必ず2つのタイプの側面があって、一つは「音楽を論理的に分析する能力や楽器を弾きこなす能力という、コントロールに関わる理性的部分」と「感情を表現する能力、直感、霊感、感受性などに関わる部分」があります。右脳と左脳があるというのと基本的には同じことです。 おそらくここで問題なのは、「感情を理解すること・共感すること」はどちらの部類に入るのか?ということ。パッと見た感じでは感情をつかさどる方ではないかと思うかもしれませんが、例えば経験したことのない感情や他人の理解しがたい感情が自分の一部になるためには、意識的に何らかの働きかけが必要になります。 私は脳科学者ではなく、研究データなどを並べ立てて退屈させるつもりはありません。率直に、本当の問いは「どうやったら心・頭の中を変えることができるか?」ということで、ここで重大な真実が出てきます。 感情を動かすのは「動作」 私が個人指導などで1分しか時間がないとなった時に出せるアドバイスがあるとすれば、おそらくこれでしょう。脳や精神の働きが身体に直接的な影響を与えることを知っている人たちは多くいますが、身体の働きが脳や精神に与える影響については語られることが少ないように思います。 最近、あるポリフォニック(多声音楽的)なパッセージに取りかかっていて、スラーで繋がった旋律の声部をできる限りの滑らかさと旋律らしさをもって弾こうとしていたものの、どういうわけかそれがうまく出来ないでいました。 自分の頭の中ではそれがどのような曲想でどんな音色で演奏すべきかもわかっていたのに、それを表現できるだけの気持ちが今一つ湧いてこなかったのです。           何かを変えなければならないのですが、頭の中を変えられないなら、「何を変えればもっとレガートで旋律らしく聞こえるように弾けるのだろうか?」と自問していました。長い時間試行錯誤しながら思いついたのが、フレーズの頂点にある音(最高音)にテヌートを勝手につけて(譜面には書かれていない)長めに弾いてみることでした。 なぜテヌートをつけて弾いてみたのか?それは、アーティキュレーションを変えることで体の動き・体の使い方が大きく変わるからです。そして試しに弾いてみると、それまでぎこちなかった旋律が途端に歌のように旋律らしく流れるようになったのです。手の動きがもっとゆっくり・緩やかになり、ふさわしい動きをともなって、フレーズが音楽の流れを遮断することなくまとまり、それと同時に、自分もそのフレーズを歌のように旋律らしく弾こうという気持ちが自然と生まれていました。 つまり、「身体の動きを変えることで、精神をあるべき状態に誘導することができる」 ということです。 これがなぜ機能するかというと、脳は身体からの刺激を受けて何かを感じたのか、何かを感じてから身体に刺激を与えたのかの区別をつけられないからです。 この手法はあまりにも発揮する効果が大きく強力で、今まで知らなかった人にとってはちょっと信じがたいものかもしれません。全体的にみても、他に比べてこういうことだけがあまり触れられず実践されることもない傾向は驚きです。 これは秘密でも何でもなく、知っている人は知っている知恵のようなものなのです。アメリカの著者で演説家のトニー・ロビンズが、ビジネスで成功するために必要な個人能力の鍛え方について説く時によく話す主なテーマで(最初に発見したのが彼なのかどうかは不明です)、音楽も身体からの影響を受ける要素が大きく、私はこの考え方を一歩掘り下げて音楽表現の向上のために利用したわけです。

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「メンデルスゾーンのマチネ」(2019年11月27日)

先日(土曜日)に「Mendelssohnのマチネ」と題した全メンデルスゾーン・コンサートを終えました。概ねうまく運び、手ごたえと収穫を得ることができたように思います。 公演の前までは、反響があったとしてもごく小さなものだろうと考えていましたが、予想とは違いメンデルスゾーンの音楽に関しての純粋なコメントや、メンデルスゾーンにフォーカスしてプログラムを取り挙げたことそのものを評価する声などもたくさんあり、会場内は賞賛の嵐といってもよいほどで自身としても大変達成感がありました。 メンデルスゾーンの重要な作品を一挙に紹介するという画期的で重みのある一日となりました。曲目には佐野真弓さんによるピアノでロンド・カプリッチオ―ソ&ゴンドラの歌、原田泰彦さんによるテノールで歌曲集と『エリヤ』からのアリア、そして私自身がヴァイオリンソナタ(1838)&ヴィオラソナタを入れました。 もちろん、全てがうまくいったわけではありません。企画段階での難しさや準備の難しさなどもあり、不安のようなものは少なからずあったと思います。結果としても理想的だったかどうかはわかりません。 ただ、できる限りの力を尽くして実現にこぎつけ、メンデルスゾーンの音楽を世の中に発信できるよう協力してくれた共演者の皆さん、その他の皆さんを称え感謝の意を表したいと思います。                   一つ大事なことは、メンデルスゾーンの音楽はまだまだ広く認知されるのには時間がかかることです。近年メンデルスゾーンに関しては再評価や再発見がされてきてはいるものの、理解は深まっていません。今回のコンサートそのものは最終目標ではなく、まだスタート地点です。今回行った活動をこれから継続していき、メンデルスゾーンの音楽がクラシック音楽の真の重鎮として根付くように惜しまず努力していかなければならないのです。 もうすでに今私は次に行うメンデルスゾーン・コンサートのアイデアを練り企画・検討をするところです。まだ漠然としてはいますが、早ければ来年の早いうちに実現できればと思っています。 松川 暉

チャペルコンサート (2019年10月14日)

長い間にわたって周到な準備を進めた末、金曜日のリーガロイヤルホテル大阪のクリスタルチャペルでのコンサートを迎えました。 公演日前は猛烈な台風と熱狂のラグビーW杯などで日本中があわただしい様子だったものの、公演当日は、100人を超える観衆が会場のチャペルに ベートーヴェン、パガニーニ、クライスラーの作品を聴きに訪れました。 会場はリーガロイヤルホテル大阪の上階にあるクリスタルチャペルで、名前の通り壁にはステンドグラスが張り巡らされ、12.5mの高さの天井から2つのシャンデリアが吊り下がり、両側にある客席の間にある通路には独特の飾りを施したカーペットという高貴な空間。 私自身、世界各地で(欧州は特にキリスト教社会で教会が無数にあるため)教会や大聖堂での演奏経験がたくさんありますが、このチャペル(礼拝堂)という場所での演奏はやや特別な感じがあり、音楽が醸し出す空間と音楽の基調にも合っていたと思います。 ベートーヴェンの『クロイツェル』ソナタは、とにかく壮大で大変な曲です。繰り返しを含めて全体で40分あるソナタ全楽章を弾きとおす体力だけでなく、全体を通して最初から最後まで聴衆を絶えず変わり続けるインテンシティをもって次から次へと別世界へと誘導して魅了し続けていくことが演奏者としての狙いです。同じ音を何度も再生するのではなく、一つ一つが毎回別の命に生まれ変わったように感じる、そんな音楽を奏でることです。 ベートーヴェンに続いて演奏したのが、ロッシーニの『モーゼ』を主題としてパガニーニが作曲した序奏と変奏曲。ベートーヴェンと最も共通点が多かったのは他ならぬパガニーニで、その単純明快さと英雄的で高揚感あふれる音楽性が最も顕著な特徴。序奏と変奏曲全体を通して全てG線で演奏することになっていて、技巧上最高レベルの超自然的コントロールとイタリア・オペラに通じる雄弁さをもった甘美な歌い上げの腕前を求められる難曲です。 クライスラーの作品はほぼどれもが長年にわたってヴァイオリン・コンサートの定番の曲目となっていて、『愛の悲しみ』『愛の喜び』はその中でも最も大衆的な2曲。第1次世界大戦でアメリカに亡命したものの、クライスラーの故郷はほかならぬウイーン。『愛の悲しみ』『愛の喜び』ともに典型的なウインナー・ワルツを上品で懐古的なメロディーとともに体現したところが芸術の真髄。 コンサートの中でやコンサートの後の拍手はとても快く感じられ、長期にわたる苦労が報われるような反応でした。観衆のみなさんも私の音楽を通してその根底にある何かを感じ取ってもらうことができたのではと思います。 ハーベストコンサート代表取締役の木田好子さん、ピアニストの鈴木華重子さん、そして来場いただいた方々1人1人に私から最大の感謝を贈ります。 松川 暉  

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