ドナウ宮殿 (2017年7月1日)

今日から7月です! ということは、2017年のちょうど半分が過ぎ去ったことになります。 あっという間に矢のごとく吹き飛んでしまう時間。皆さんも1日1日を大切に、そして明日を生き残るために今日を精一杯生きる、ということを忘れないでください。 今日も朝からいろいろとハプニングがあり、ばたばたした1日で、この後もまた別のコンサートを観に出発するため、ほとんど時間がないので超短く載せておきます。   今日はドナウ交響楽団との1回目のリハーサルで、この立派なドナウ宮殿内で、ドヴォルジャークのコンチェルトの1楽章を中心の練習となりました。この楽団はドヴォルジャークのコンチェルトをそれほど演奏していないということですが、組織としてある程度統率はされていて、仕上がりまでさほど時間はかからないように思います。来週のコンサートがとても楽しみになってきました。 松川 暉                

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ご挨拶 (2017年6月27日)

おはようございます! 今私はブダペストにある市場周辺の街道の一角から書いていますが、昨日、おとといの雨とは打って変わった光景であたり一面快晴で、やや暑い日となっています(気象情報では28℃という表示がありました)。 市内に着いたのは日曜日で(前日の夜中に空港周辺のホテルに停泊)、今日は3日目ということになります。私がいる場所はブダペスト市内でもやや入り組んだ通りにあり、(ヨーロッパでの旅に慣れているとはいえ)重い荷物と楽器を運びながら20時間程のフライトを経てバスや地下鉄での移動を誰の助けに頼ることもなく自力でたどり着けたことには誇りに思います。   ここに来たのは、ドナウ交響楽団 (Danube Symphony Orchestra)とのリハーサル、コンサートのためで、現在私の他にも他国からこのプログラムのため数名のソリストが訪れています。私にとってこのような機会はとても光栄で、有意義なひとときとなると確信しています。 来週のドナウ宮殿での演奏に向けて、ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲を練習しているところで、リハーサルは今週末に始まる予定です。 今のところ全てはおおよそ思い通りに運んでいます。食べ物も店も景色もまずまずです。ただ、こちらの言語(ハンガリー語)は厄介なもので、単純に英語(せいぜいドイツ語)で話した方がここでは人生は楽そうです。 また後ほど途中経過を更新していこうと思いますので、しばらく待っていて下さい。 松川 暉        

ウイーン音楽 vol.3 ― クライスラー (2017年6月18日)

『愛の喜び』 『愛の悲しみ』 『ウイーン奇想曲』 『美しきロスマリン』 これら全てはフリッツ・クライスラー(1875~1962)によって書かれましたが、たとえクライスラーを知らなかったとしても、これらの曲は誰もが1度は耳にしたことがあるはずです。 クライスラーは、現代のコンサートで演奏され親しまれる小品の多くを手掛けており、また今日のヴァイオリン演奏テクニックや芸術的な場における概念的要素を形作るとても創造的な原型を生み出したヴァイオリニスト本人でもありました。 彼は並大抵ではない才能に恵まれ、年齢の割にも突出していたので、ポーランド人ピアニストのイグナーツ・パデレフスキも、「クライスラーがヴァイオリンを弾いてくれていて、よかった。もし彼がピアノで舞台に立っていたら、私の出番はなかっただろう」というほどでした。 23歳の時すでに、クライスラーはハンス・リヒター指揮のウイーンフィルハーモニー管弦楽団との共演でウイーンでのデビューを果たしていました。 しかし、ウイーンで音楽家としてキャリアを積むのは、当時も決して楽なことではありませんでした。競争が激しく、出費は嵩み、音楽評論家は殊更に辛口でした。音楽家が正式なコンサートをやろうものなら、結果的に決断するまでに半年くらいはかかってしまいました。ヴァイオリニストで作曲家でもあったルイス・シュポアーは、「ウイーンでの芸術的演奏・演技は最高峰を水準に評価されている。よって、そこでの成功は、巨匠として認められることを意味する」と述べるまでに至っています。 『ウイーン奇想曲』は1910年にクライスラーによって作曲された、3部形式でいくぶん即興的な前奏のついた、4分ほどの小品。(前回のブログでもシュトラウスのワルツが同様に3部形式であることをすでに話しました。) 生まれ育った故郷であるウイーンの古き良き時代を懐かしむような哀愁ただよう曲想で、彼の代名詞ともいえる愛奏曲です。1936年ベルリンで行ったクライスラー自身の録音が残されていますが、これは私も味のある良い出来だと思っています。 そして、『愛の喜び』『愛の悲しみ』『美しきロスマリン』は、しばしば「3つのウイーン舞曲」というアルバムにまとめられており、リズムや和声からみても、まさに伝統的ウインナー・ワルツの典型というほかないでしょう。 シュトラウスのワルツにもあったように、上記の『愛の喜び』も3部構成で、細かく分けてワルツが3つ存在します。1つ目のワルツは、陽気で楽しみに満ちて、意志が強く、エネルギーにもあふれています。2つ目のワルツでは、ヴァイオリンとピアノが対話し始め、冒頭のようなパワーは少しだけクールダウンされます。3つ目のワルツはハ長調からへ長調へ転調し、がらっと変わった景色が現われます。陽気さはまだあるものの、前よりもいっそう優雅でかつふざけた雰囲気で、舞踏会で生き生きと踊る男女の有り様そのものです。 例えば私が上記のワルツを演奏する際、ワルツの出だしはゆっくりから始め、聴き手がどこへと発展するのか興味津々になるような効果を狙います。徐々にテンポを上げていくことで、数小節後には花のように立派に広がりをみせることができます。譜面に書かれているアクセントや fz (スフォルツァンド)は、シュトラウスのポルカ「雷鳴と電光」と似たような奇抜な印象がありますね。 クライスラーは、あることで一時期物議を醸しました。クライスラーが手掛けた作品には多数の編曲もありますが、当時編曲であるにもかかわらず、原曲が見当たらなかったのです。真相はというと、クライスラー自身が書いた作品を自分の名前ではなく、ベートーヴェンやプニャーニ、クープランなどの別の作曲家の名前の元で発表していたということです。英国の評論家アーネスト・ニューマンも彼を詐欺師と酷評したように、世間に知れ渡り批評家の間にでも高く評価されて暫くたった後に実際の作曲者がわかるというのは、とんでもないことでした。ですからこれは、音楽業界全体に衝撃を与える一大事となりました。 なぜ自分が作曲したにもかかわらず、自分の名前で出版しようとしなかったのか?自分の作品に誇りがなかったからなのか? それは実際のところ、よくわかりません。 もちろん、世界中にとって衝撃だったことでしょう。しかし一方で、公開された作品がクライスラー原作であるとわかった時に、人々は彼の類い稀な芸術的資質、前世代の作曲家にも劣らないようなオリジナルな名曲を残すことのできる素晴らしさに感動したのではないでしょうか? そして、19世紀からの伝統であるワルツを再現し、改善し、そして愛とユーモアが込められた自らの独創的な舞曲へと完成させたことも特筆すべきでしょう。 <了> P.S. 今回でウイーン音楽シリーズのブログはは3編目になりました。いろいろな発見があり、学ぶことも多く、楽しめたでしょうか?時間に制約があり、山ほどあるこのトピックを語り尽くすには十分ではありません。また取り上げることもあるとは思いますが、今後また素晴らしい音楽についての洞察や興味深い秘話などを紹介していく予定です。 下記もお忘れなく! ================================================================================================

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